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恋や出会いは「きっかけ」を超えて【カツセマサヒコ × ペアーズ】

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「趣味とか合わなそうって思ったんです。でも話してみたら、むしろ自分の趣味が増えていく感じなんですよ! LINEしても電話しても、話題が尽きることないし!」

渋谷駅から宮益坂を上った先にある串揚げ屋のテーブル越し。新卒で入社したばかりの後輩が、新しくできた恋人について熱く語っている。

「それで、この人ならいいかもなと思って、早速会うことになったんです」
「早速って、どのくらい早速?」
「連絡を取り始めて、3日後です」
「それは早いなあ。最近の恋愛ってそういうもんなのか」

興奮気味に話す彼女を見て、恋っていいものだな、と素直に思った。
きっと今の彼女からすれば、多少の困難など苦痛でもなんでもない。「全ての連絡が彼からのものであってほしい」と思うほど、深い深い快楽の沼に落ちているのだろう。

「で、どうだったの?」
「それが、写真で見るよりも雰囲気良くって、服のセンスも完璧にど真ん中でした! なんで恋人がいないの? って、怖くなるぐらい」

「えーすごいね。言うことないじゃん」

幸せそうだねえ。と心から思ったので、そのまま伝えた。
そうなんですよと嬉しそうに笑いながら、彼女は常温になった日本酒を飲み干す。

マッチングサービス。

ひと昔の言葉で表そうとするなら「出会い系サービス」に括られてしまうその言葉で、後輩と彼氏は出会いのきっかけを作った。

一時期は「出会い系サービス出会った男女が云々」といった形で、ニュースやワイドショーではあまり良いイメージで取り上げられなかったこともあり、世代によってはその類の言葉に拒否反応を示す人は少なくない。結婚式場などではいまだに、「新郎新婦の出会いのきっかけ」として紹介する場合、司会者はその単語を濁すイメージがある。

でも、その認識はもう、時代遅れなのかもな、と思うことが増えている。

「マッチングアプリで出会った彼と結婚しました。きっかけなんて、なんでもいいと思ってます」

僕のTwitterのダイレクトメッセージには、今日もSNSのフォロワーからたくさんの喜びや悲しみの報告が届く。特に返事はせずとも、誰でもいいから届けておきたい気持ちの捌け口としてアカウントは機能している。

「きっかけなんて、なんでもいいと思う。わたしは出会いが欲しくてマッチングサービスに登録して、きちんと出会えたんだから」

自分に言い聞かせるように力強く書かれていたダイレクトメッセージに、既読だけ付ける。

まだ見ぬ誰かに出会いたくて、出会って、恋をする。愛を生む。

その行動のどこに後ろめたさを覚える必要があるのか。素朴な疑問を説得できるほど、良い答えは浮かばなかった。

マッチングサービスとは異なるけれど、僕も中学時代、部活の合宿先でメル友募集サイトに登録をして、同い年の女の子と頻繁に連絡を取っていたことがある。

「あすか」というハンドルネームの女の子(と思われるアカウント)は、154センチと小柄で、彼女のクラスメイトからはaikoに似ていると言われていた(らしい)。

僕の身長は当時165センチくらいだった気がする。似た芸能人なんていなかったけれど、一度だけ歯医者の受付のお姉さんから「似てるね」と言われたことがあった人気の若手俳優の名前を口にした。勝手にハードルは上がる。でもまあ、会うことはないからいいかと開き直り、毎日人気俳優の顔を意識しながら返事を打った。

僕と「あすか」は、そこから三カ月間、ほぼ毎日メールのやり取りをした。入力できる文字数の上限が全角250文字までだった当時の携帯端末を駆使して、僕らはできるだけ簡潔な言葉を選んでは声のない会話をした。
互いの趣味について話し、見えている空の色を語り、好きなアーティストの歌詞を送り合い、相手への想いを口にすることが好きだった。

結果、僕と「あすか」は、会ったことがなくとも、恋人同士だった。

「今となっては」というより、当時だって十分おかしな考えだったと思う。でもその関係は、まだカメラも搭載されていないガラケー時代だったからこそ生まれた、ほんの少しの説得力を持った夢物語のようだった。

毎日の取るに足らない出来事も、喜び震えた経験も、降り注いだ悲しいアクシデントも、二人のメールを盛り上げるための具材と化していたあの時の心の弾みは、今考えても立派な恋心だった。

それだけ美しい恋だったけれど、終わり方は最低だった。

「あすか」は交際3カ月目に入って「どうしても会いたい。その俳優にこれっぽっちも似てなくたって構わない」と言うようになり、異性とのコミュニケーションスキルがゼロどころかマイナスだった僕は、彼女と会うことをやんわりと拒否し続けた。次第に、メールの返事を打つ親指の動きが重くなっていった。

神奈川と東京というちっぽけな距離を果敢に乗り越えようとする彼女の勇気に触れて、プロフィールやエピソードに張り巡らせていた自分のちっぽけな嘘や見栄を明かされるのが怖かった。そして交際3カ月が終わる頃、とうとう嫌気がさした僕はそっと彼女に別れを告げて、返事は待たずに「あすか」のアドレスを受信拒否に設定した。会ったことのない恋人とのやりとりは、そのまま出会うことなく終えたのだった。

「でも、連絡を取り始めて3日後には会えるなんて、すごいよな」

僕は「あすか」のことを約15年ぶりに思い返しながら、目の前で追加の串揚げを注文する後輩に言った。

「相手が嘘をついてるかもしれないでしょ? 君だって、多少は盛ったプロフィールを書くわけじゃん」

僕は少し冷めつつあった串揚げに塩をつけて口に運ぶ。

「いや、マッチングサービスって、嘘をつくほど出会ったあとの後悔も大きいから、最近はみんな正直に書くことが多い気がします」
「え、そうなの」
「うん。まあ、まずはマッチングしなきゃいけないから、多少は異性が好きそうなことをプロフィールに書きますけど、でも趣味とかステータスとか、嘘ついても会ったらすぐにバレるし、何の得にもならないですからね。とはいえ、わたしも顔写真は、光を当てまくって盛った奇跡の1枚を使いましたけど」

悪気なく悪戯をしたように笑う後輩に「やっぱり盛ってんじゃねえか」と言いながら、そもそもインターネットを通してリアルで会うことのハードルは、当時よりかなり下がってきたのだなと思った。

書店を歩いて背表紙のデザインとタイトルに惹かれて本を手に取るように、レコードショップでジャケット一つで判断してCDを購入するように、「自分の感性が反応したものとの偶然の出会い」を、マッチングサービスは「人間関係」にまでもたらした。

それは、マッチングサービスが情報の正確性を求めるように進化してきた成果かもしれない。でもそれ以上に「インターネット」との境界が技術的にも文化的にも薄れてきた結果のように思う。

串揚げ屋への入店直後、「ちょっと恥ずかしいんですけど」と前置きしてから、恋人との出会いのきっかけはマッチングサービスだったと語った後輩に、僕は「別にこのご時世、恥ずかしがることもないでしょ」と返した。

生まれた地元が一緒だとか、クラスメイトだったとか、バイト先が一緒だといったきっかけだけが美談として語られがちだけれど、別に“ロマンチックな出会いのきっかけがなければ恋は長続きしない”なんて決まりはない。

これまで、何をするにも潔癖な動機や目標を求められ過ぎた社会だったのだ。
出会ったきっかけも、好きになった理由も、好きになってもらえた理由も、どこか着飾っていたり、潔白なものだったりしないと、賛同を得られない時代だったようにも思える。

でも、個人の幸せが多様化した現在は、その幸せを手にするために最適な手段方法を自ら選択して、行動した人こそ、魅力的に映る。よりさらけだした自分を愛される方が、幸せな時代が来たのだとも思う。

「わたし、マッチングサービスで出会いました」

その一言が、もっと大きな賞賛の下で受け入れられる日が来ますように。
15年前、行動しなかったことによって終わってしまった恋を振り返りながら、そのように思った。

カツセマサヒコ
1986年東京生まれ。明治大学を卒業後、2009年より大手印刷会社の総務部にて勤務。趣味でブログを書いていたところ、編集プロダクションに目をつけられ、ライター・編集者の世界に飛び込む。現在は独立し、小説、コラム、エッセイなど幅広く活動中。
Twitter: @katsuse_m

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